ほしとりぶろぐ

カメラ、バイク、ギター趣味で、シンプルな生活を目指しモノを捨てまくった管理人のユルい日記

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最近、ポロっとアコギで弾いてる曲の話

どうも、ぴすです。

 

少し音楽の話を。

 

音楽が好きで、ギターを始めて10年近くです。超絶なギターソロに憧れた、というより、歌いたい歌があり、ギターを持ち歌いたい、という思いが強くて始めました。

当初はロックバンドのコピバンやオリジナルのバンドを組んでいました。

 

メインパートはギターヴォーカルのつもりですが、雇われでベース弾いてた歴の方が圧倒的に長いですので、周囲の方は私=ベースという印象を持たれているハズです。

最盛期で、一年で80曲近くカバーするほど、やってました。

まぁ、といっても趣味の範囲です。

 

 

今は、自らライブもしなければバンドにも所属していません。

音楽仲間からお呼びがあれば、アコギ一本持って駆けつける程度です。

 

 

最近、ポロっとアコギで弾いている曲

 

普段は、家でお酒を飲みながら、ポロリとアコギを弾き、歌います。

観客は奥さんだけ。でもまぶたの裏では、溢れかえる程の人がいる。

 

毎度、口癖のように歌ってしまうのはこの曲です。

 

Viva la Revolution/Dragon Ash

(下記の動画の4:45から少しだけ始まります)

www.youtube.com

 

この曲との出会いは中学2年生。まさに中二病全盛期。

多感な学生時代、社会人になってからでもずっと私を支えてくれた大切な楽曲。

 

でも、アコギでカバーし、歌うようになったのは最近のことです。

自分にとって、大切な歌だったけど、コピーしたのは最近なのです。

 

理由は簡単です。

この曲を聴いたら分かるけど、アコギでカバー?って普通思います。

全然アコギの曲ではない。それが原因でした。

 

 

 

 

私と音楽とドラゴンアッシュ

中学に入り、何となく音楽を聴くようになった。

 

コレという好きなアーティストはいなかったので、満遍なく邦楽を聞いていた。

初めて買ったCDは眩暈/鬼束ちひろ鬼束ちひろさんは今でも大好きなアーティストです。

 

そして、僕が中二病を発症していた時、DRAGONASHドラゴンアッシュ)にハマります。

 

実は当時、ドラゴンアッシュは嫌いだった。

 

当時、ドラゴンアッシュは「LILY OF DA VALLEY(リリーオブダヴァレー)」というアルバムを発売していた。

 

このジャケットがイケイケで、ラインストーン調の文字で「DRAGONASH」と書かれ、いかついゴールドのネックチューンのジャケット。きっとこういうのはイケイケな人たちが聴く音楽なんだろう、って思っていた。

 

 

 

それから映画「バトルロワイアル」を見た。強烈な内容で私はグロッキーだった。

しかし、強烈だったのは、あの映画の最後、ED曲。

 

 

 

 

ジャーン・・・

 

 

 

 

爽やかなアコギのコードストロークが映画館内に響いた。

 

あの優しい音色。あの救われた感じ。

 

そして歌がはじまった。映画の内容とは釣り合わない程の優しい歌、その歌詞に心底感動した。

 

 

あまりにも感動した私は、つい隣にいた友達に言った。

 

 

私「こ、この曲は・・・!?」

 

 

友達「これが、ドラゴンアッシュやでぇ(ドヤァ・・・)

 

 

 

 

これがドラゴンアッシュと私の出会いである。

 

 

 

そして、あの時の友達のドヤ顔は忘れない。

 

 

 

何故友達がドヤ顔になったのかというと、以前からその友達は私にドラゴンアッシュを薦めていたからだ。

 

だけど、イケイケなジャケットだけで判断して、食わず嫌いで私はその勧めを断っていたのだ。

 

 

それがたった一曲を聴いただけで、完全に心を奪われてしまったのである。

それが、上記したDRAGONASHのアルバム「LILY OF DA VALLEY」にも収録され、映画「バトルロワイアル」のED曲でもある「静かな日々の階段を」だった。

www.youtube.com

 

 

たった一回のコードストロークで、食わず嫌いだった私をファンに変えてしまった。

 

 

あの時の衝撃と、友達のドヤ顔は一生忘れないと思う。

 

一気にファンになったが・・・

そこからは、過去に発売したCDを買い漁り、いっきにファンになった。

食わず嫌いの「LILY OF DA VALLEY」も、ちゃんと聞くと凄く良い歌ばかりだった。

ひとつ前のアルバム「Viva la revolution(ビバラレボリューション)」を買った。滅茶苦茶ハマった。全曲がやばかった。

 

が、その後発売するアルバムの方向性が変わり、アルバムやシングルさえも聴かなくなってしまった。

 

 

再び、ドラゴンアッシュにハマる

 

アルバムを買わなくなって何年も経った。

その間に、学生だった私は成人し会社に勤め、上記したオリジナルのバンドを組んで、解散を経て、雇われベーシストとしてとあるバンドにお世話になっていた。

 

 

そんな中、元バンドメンバーからメールがきた。

 

 

 

元バンドメンバー「新しいドラゴンアッシュのアルバム、聞いてみ。ベッドから落ちそうになったわ」

 

 

 

わざわざこんなことをメールしてくる位だからよっぽどなんだろうと、久々にアルバムを買った。

 

そして車を運転しながらカーステでアルバムを聴いていると、中身がギッチリつまったソリッドギターで後頭部を殴られたような衝撃を受けた。

 

 

いや、事故ったワケではないです。

 

 

それはモノの例えで、実際に物理的な衝撃を受けたワケではなく、精神的な、頭が真っ白になるような衝撃です。

 

歌詞の「ある一言」が脳みそに突き刺さったのだ。

 

その曲の名前は「ROCKBAND(ロックバンド)」

 

 

後にも先にも、こんなに歌詞を聴いて衝撃を受けたのはこの曲以外にない。

 

 

学生時代にもたった一つのコードストロークで衝撃を与えられ、成人してからも歌詞のたった一言で頭が真っ白になる程の衝撃を与えられた

 

きっと、元バンドメンバーも同じ衝撃を受けたのであろう。ま彼の場合はベッドから落ちそうになったという違いはあるが

 

コピー技術がそれなりに着いた

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その後、数々のバンドを掛け持ちし、年間80曲コピーするほど精力的に頑張った。なんでそんなにコピーする必要があったのかというと、とある音楽のサークルみたいなものに所属していたのだが、人数のわりに圧倒的にベーシストが少ない為、バンドを成立させる為に仕方なくベースをやっていたのだ。

 

「私がやらないと、バンドが成立しない」そんな使命感みたいなものを勝手に感じていたのです。

 

カバーした曲はSmoke on the waterなどのハードロックに始まりSMAPAKB48など、幅広く色々コピーした。

 

そんなこともあり、かなりコピーの技術が上がった。というか、アレンジ力というか、良い具合に手の抜き方を知ったというか。

 

年間80曲って、冷静に考えるとやばいです。4.5日に1曲近く覚えるんです。

 

どう考えても覚えられません。

 

なので、コードだけ書き出して、曲の雰囲気だけ覚えたら、後はコード見ながら適当に弾きます。どうしても雰囲気で弾けそうにない曲があれば、先輩ベーシストに託します。

 

そんなことしててもクレームが出なかったので、上手くは行っていた、と思いたい。

 

今はもう、雇われベーシストは辞め、そのサークルも抜けている(つもり)なので、活動は落ち着いている。

 

 

そして、自分が本当にやりたかったギターヴォーカルと向き合おうと思った

 

 

まず選んだ曲はドラゴンアッシュの曲だった。ドラゴンアッシュの曲は原曲通りにしようとするとコピーが難しいが、原曲とは変わってしまうがアレンジすればアコギでも弾けるという事に気づいた。これは年間80曲もコピーしてきたお陰で身に着いた手抜き力アレンジ力のお陰であると思う。

 

 

かくして、昔から大好きだったドラゴンアッシュの楽曲をやっと今頃になってアコギで弾き語るようになったのです。

 

 

今は年に一回くらいのペースでライブに呼ばれ、その際はアコギを持って駆けつけて歌いますが、それ以外は完全に自宅でお酒飲みながら軽く弾き語っているだけです。

 

それでも、中二病の時から大好きだった曲たちを、時を超え、現在アコギを持って歌えることに喜びを感じています。

 

そして、弾きたい曲があれば少しずつレパートリーを増やしていっています。

 

  

ちなみに、次のライブはいつか分かりません。

 

 

なんか長くなりました。以上!